浮世概略

この世はとかく住みにくい〜っ

走ることの再開

最近、また走りたいと思うようになった。

 

昔走っていて、トラック競技を辞めた後もジョギングを続けて留学中も走っていたのだが、コロナでジムが全て閉まり、走ることが不可能になった。

 

留学していたアリゾナは暑さの点でも治安の点でも1人で外を走るのは危ないため、大学のジムと住んでいたアパートのジムが閉まると、どうしても走ることを続けられなくなってしまったのだ。

 

でも最近オリンピックを見ていて、細かな感情の説明は抜きにして、とにかく、スポーツをまたやりたくてたまらなくなった。

 

そして、私がやるスポーツは陸上と決まっている。球技のセンスは持ち合わせておらず、泳ぐことも苦手だ。9歳の頃からやってきた陸上しか、私には無い。

 

両親が市民ランナーで、幼い頃から常に陸上がそばにあった。でも、だからこそ、走る時は常に記録を出すことを求められた。そんな中で、走ることの楽しさなどどこかへ行ってしまっていた。

 

高校、大学では陸上部に入らず、自分で走りたい時に走る(ランニング)をするようにした。それでもやはり、私にかけられた呪いは解けない。ゆっくり走れない。走ることそれ自体に集中することができない。どうしても、昨日より速く走らなきゃとばかり思ってしまう。それでは何にもならないのだと、コロナで走ることをやめてから考えた。

 

就活やバイトもあって、走ることからおよそ1年程度離れていた。でもまた走りたくなった。ストレッチも筋トレも、しばらくやっていない。体を動かす機会は週に1度、近くの山まで犬を散歩させる時くらい。でも、昨日は外に出ずにはいられず、気づいた時には、散歩の時用のウォーキングシューズを履いて、体操もろくにしないで外へ出て走り始めていた。

 

だが、思った以上に体が動かない。これまでも、多忙ゆえに、数ヶ月のブランクを経てまたランニングを再開するということはあった。それでもコレよりはマシだった。言わば私の全てが、鎖で縛られ、鍵をかけられているようだった。頭までもが縛られているので、昔自分がどうやって走っていたか、ブランク明けではどうしていたか、その記憶を参照しようと思っても、それがかなわない。そしてその鍵を開けるための鍵がどこにあるかも、見当がつかない。それくらい、私の中から陸上が消えてなくなってしまっていた。

 

しかし、それはいわば当然だ。陸上長距離の世界では、1日でも走ることをやめてしまってはならない。「楽しく」走るためにも、それは絶対条件なのだ。私が何日休んだか、考えるだけでも恐ろしい。ただ、走ると決めた以上、その現実と向き合い、かつての感覚を一つずつ取り戻していくしかないのだ。

 

今年中に、できれば10kmのレースを走りたい。やる気を保つためにも、やはり人と走ることは大切かと思う。留学中もモチベーション維持のため、2回、10kmを走った。帰国後はハーフを走りたい、そしていつかは両親のようにフルマラソンをなどと語っていたものの、また振り出しに戻る形になった。

 

このコロナ禍で、そのようなレース自体も開催されるかどうかわからない。ただ、東京五輪オリンピアン達もそのような不安の中で練習をこれまで続けてきたのだ。背負っているものはだいぶ違えど、私は私として、また陸上の世界で、今度は自由に、自分の走りたいように走って輝きたいという気持ちを忘れずに日々、励まなければならない。誰からもプレッシャーを受けることなく、自分で考え、自分のやり方で成功を掴みとるときこそ、私なりに走ることを「楽しい」と思えるときだろうと思っている。